今回、日本の航空幕僚長である田母神氏(60)が「日本の戦争は自衛の為の戦争であり侵略戦争ではない」という論文を提出したことによって、政府がこれを更迭した問題に対して、我々は第二次世界大戦に至るまでの歴史の真実と、戦争犯罪国とされた東京裁判による一方的且つ、非道な過去の悲劇をを国民の皆様には今一度考えて頂きたいのであります。
戦後、日本人の意識は日教組の赤化教育に始まり、学生運動、そして村山談話など、日本を侵略国家として批判することによって、戦いや競争力、戦争までもを否定し、共産主義者と言っても過言ではない人間達による長きに渉る歪んだ歴史の洗脳という愚行に対して、我々は、真っ向から日本国家国民の為にも国民意識を修正すべき最重要課題と考え、行動するものであります。我々は『戦争』を決して肯定するつもりはなく、日本に不当に着せられた、過去における戦争犯罪、侵略国家の汚名を晴らすべく戦っているのであります。
世界大戦以前の戦争行為のモラルとして『侵略』という定義は全く無く、植民地支配、奴隷制度という利権こそが列強国の国益とされていた時代であります。日本唯一が、その非人道的な常識を覆すべく、国際連盟の条文に人種差別撤廃を書き加えることを訴えたことが、欧州を中心とした世界中の国々から敵視され、世界大戦にまで引きずり込まれる結果となり、完膚無きまで叩き潰され、戦う戦力も状況も皆無な最中、原爆までもを投下され、東京裁判という戦勝国の勝手な裁判によって百対ゼロという、敗戦に至るまでの戦争責任全てを汚名として着せられたのであります。
この様なでっち上げ裁判は、誰もが矛盾を理解できるはずであり、現在では様々な書物や映像等によって日本の正当性を立証できるにも関わらず、当の日本人だけが自虐史観を持ち続けていることが我々には理解できないのであります。
もし、日本が自衛のための戦争を行わずにいたら、当時の日本の総人口の半数以上は世界中の貿易封鎖などによって餓死していたのは明白であり、国家として又、人間として当然の自主防衛を貫いた日本が、何故侵略国家であるとか、戦争犯罪国と呼ばれなければいけないのでしょうか。世界の戦争又、紛争の歴史を捉えても国内外を問わず残虐な殺戮の数々、原爆、大空襲、奴隷売買、粛正という言葉だけは美しい名目の虐殺、何を比べても日本だけが悪とされている現実を理解することはできるわけがないのであります。
そして、誇りだけではなく、国益としても、この不当な戦争犯罪の汚名を着せられている事によって、ODAや援助基金や無実の戦後賠償といった形によって、世界中に多額の我々国民の血税を、戦勝国や共産圏を中心とした国々に、現在も搾取され詫び続けているのが現実であることをご理解いただきたいのであります。汚名の影響はそれだけに止まらず、国際連盟の敵国条項にも日本は提示されており、例えば、日本が他国から不当な軍事的被害を受けた場合ですらも国連は一切協力はしないという規約であり、にも関わらず日本は常任理事国でもないのに加盟国としては二番目の多額な資金を出し続けているのであります。
この様な現実は決して独立国家と呼ぶにはほど遠く、まして日本の誇りを失いつつある今、アメリカの民主党による新政権を見ても、日本国内のあまりにもレベルの低い党利党略や国内情勢を見ても、国家国民という理念を窺うことができず、せめて将来の日本の為にも、我々の声を聞いてもらった国民の皆様だけにでも、日本人のすばらしさや、過去における誇り高き民族性の歴史をご理解頂きたくこの様な啓蒙活動を行っている次第であります。
平和を作り、日本国民の生命と財産を守るのはあくまでも軍事による抑止力が基本であり、軍事力とは決して自ら戦争を行う為だけのものではないということを分かって頂きたいのであります。
今回の田母神氏の真実の声は、例え正しい歴史観であっても、マルキシズムに犯された左傾の中核層が根強い日本社会においては、瞬く間に叩かれ、消される傾向が非常に強く、マスコミや曲がった政治家の妨げに惑わされず、歴史の流れを真っ直ぐに再認識する必要があるのではないでしょうか。
憲法九条と日米安保だけに守られ、誇りや歴史を全否定されている日本の現実、もし仮に、その不安定な壁が壊れたとしたら、防衛意識も何もない日本国家国民は一体誰が守るのでしょうか。
自衛隊を国軍とは認めず、世界中の危機感であるテロを撲滅するための給油活動という国際貢献すら批判し、人間性としては躾であろうが只々暴力反対という考えや法律が蔓延り、日本国家国益の為であっても只戦争反対を唱えれば良しとする軟弱なスローガンだけで生き抜けるほど、これからの世界情勢は甘くはないと何故思えないのでしょうか。
良識ある国民の皆様、これからの将来、国家国民とはどうあるべきかという重要な問題を、今一度意識改革すべきであると我々は強く訴えるものであります。