秋葉原無差別殺傷事件を捉え、その背景にある戦後日本で作り上げられてきた社会が産んだとも言える悲劇の産物ではないかと我々は考えるものであります。現在の日本、そして国民全体の防衛本能の意識が弱く、その多くはただ平和と言うだけでひたすら暴力には反対するが、自己の防衛意識と行動が伴っていない有様である。
昨今、殺人事件等、目を覆ってしまうような凶悪犯罪が多発しているのが現状であり、その反面、現在の日本には意味のない社会体制が出来上がりつつあり、その結果、無意味な事件が発生している。しかも、毎日報道されているマスコミの発言ですら全くその言葉に責任を持っておらず、当然その意味も認識し難いものである。その原因の一つとして世の中に何ら目的を見いだすことが出来ず、ただ生活をしている人間が急増してきている事が考えられる。果たして現在の日本の社会で未来の若者達に人生の目的、そして夢や希望を与えれることが出来るのであろうか。
まずはこの混濁した意味のない社会を意味のある社会に正すべく、日本国の憲法と教育を改めることが最重要課題である。日本国民に多数見られる平和ぼけも戦後教育の産物である。戦後、GHQや日教組によって自虐史観を植え付けられたが為に、愛国心を持てず自分の国の歴史に誇りを持てない子供達が育ち、大人になり子供を産み、育った現在の若者達は何が良くて何が悪いのかさえも判断できず、残虐な犯罪にまで発展しているのである。
そして、現在多発しているその犯罪の殆どは若年層によるものであり、その若さと経験不足の為、犯罪の責任を取るという現実を理解していない。それはマスメディアが事件を報道する際、事件の内容と裁判の判決だけを報じ、刑務所の過酷さや人間性の無さ、その後の社会復帰までの本当の厳しさを全くと言ってよいほど報道してはいないのである。被害者側を哀れむ報道ばかりではなく、罪を犯した加害者側の人生がその後どうなるかをしっかりとマスコミが報道することが、社会教育として絶対的に必要であるといえるのではないか。
国家の基本法とも言える日本国憲法によっても現在、憲法9条により国軍を持っていない。当ホームページの時局問題「憲法問題を捉えて」の項目に記したが、それによって自主防衛が出来ないが為に日本の国策、外交は弱きものになり、それが国家国民にも反映されているのではないか。